官能的な豚
三島由紀夫「小説家の休暇」より
他の芸術では、私は作品の中へのめりこもうとする。芝居でもそうである。小説、絵画、彫刻、みなそうである。音楽に限って、音はむこうからやって来て、私を包み込もうとする。それが不安で、抵抗せずにはいられなくなるのだ。すぐれた音楽愛好家には、音楽の建築的形態がはっきり見えるのだろうから、その不安はあるまい。
しかし私には、音がどうしても見えて来ないのだ。ところで私は、いつも制作に疲れているから、こういう深淵と相渉るようなたのしみを求めない。音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、ということに尽きる。だから私は食事の喧騒のあいだを流れる浅はかな音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米の音楽をしか愛さないのである。
この言葉が頭から離れない。